昨日は中学校の同窓会へ顔を出してきました

しかしながら……
私にとって、小学校、中学校というのはあまり良い思い出がありません。
というより、良い思い出よりも、苦しかった思い出の方がずっと多いから……。

何を隠そう私はいじめに遭っていたからさ~


アトピーで皮膚がただれていたり、喘息でいつもゲホゲホしていたせいで、「病気を移すな!バイキン!」とからかわれたことがある。

ある日、学級の何かの決め事で、クラスメイトの席(イス)に座ったら、「バイキンは私の席に座らないで欲しい」と叫ばれ、目の前でイスを雑巾で拭かれたことがある。
※アトピーも喘息も他人にうつる病気ではありません。

よからぬ変なあだ名をつけられ、からかわれたことがある。

喘息のため、体育を見学すれば、ずるいと言われた。

教科書は幾度となく紛失したし、「バカ」「アホ」「バイキン」などとマジックで書かれたり破かれたりして、それを親に見せるのが嫌で自分で焼却炉の中に投げ捨てたことがある。
そして、「教科書をなくしてしまったから、新しい教科書を買って欲しい」と何度も母親に頼んでいた。

さらには、「教科書は自宅に持ち帰りなさい」と先生の言いつけを守らず、机の中に忘れてしまったら、翌朝、机の中の教科書はなくなっていて、先生から「教科書を忘れていった人のものは、焼却炉で燃やしました。」と告げられ……

ここの学校では私を助けてくれる人は誰もいない。
先生なんかアテにならない。
何事も自分でどうにかするしかない。
……と勝手な被害妄想に苛まれたりもした。

↑ちなみに、先生が教科書を取り上げたのは、持ち帰るべきものを忘れていったからであり、いじめではなく、教育上の観点です。
もちろん教科書を燃やしたというのは脅しであり、後で先生から返していただきました。


学校生活はそんな事件簿の連続だったから、いつの日からか、私はこれ以上のいじめに遭わないように、存在感をとことん消すこと、何が起きても鈍感に振る舞う術を覚えていったのね。

いじめというのは、当事者が困ってオロオロすればするほど、エスカレートしていくものだ。
だったら、何が起きても何食わぬ顔をしていればいいというのが少女だった私なりの答えだった。



なぜにそんなアウェーな場所へ戻ることができたのか?


まず1つ目に、
過去がどうであれ、今の自分に自信があるからだ。

私、水戸で生まれ育ったくせに、地元には友達っていないのよね~。
だから、懐かしい同級生に再会するってよりも、新しいお友達を作っちゃおう!ぐらいの不純な動機もありつつ(笑)
昔の私は、自分に自信なんて全くなかったからさ~。
どうしてもオドオドしていたように思うけど、今の私なら堂々と声をかけることだって可能です

ちなみに、私のことなんて誰も覚えていないのでは?と思っていたけど、そんなことはなく、話しかけてくれる人は案外たくさんいました。

さらに、友達なんていないと思っていたけど、そんなこともなかった。
一緒に買い食いをしたり、ちょっと遠出をしたり、花火大会に一緒に行っていたお友達はいたわ。

20年ほど連絡をとっていなかっただけで、中学生の私にも数は少なくても、一緒に笑い合うお友達はいたんだわ。

私の記憶って、実は曖昧なのかもね。


2つ目に、
当時の真実が知りたかったから。

同窓会に行ってみて、中1のときの担任の先生に声をかけられました。
「もう1度、あなたに会えたら、謝りたいと思っていた。教科書を燃したなんて言って、ごめんなさい。」と謝罪されました。
そして、もう1つ、私の知らなかったエピソードを知った。
私は教科書を紛失する度に(実際は紛失じゃないんだけど)、母が学校へ電話をしていたようだ。
「申し訳ありませんが、娘が教科書をなくしたというので、新しい教科書を購入したい。」と。
私はすっかり忘れてしまっていたけど、先生に教科書を没収されたときも、私は母親に「なくしてしまった」とウソをついたみたい。
私はあらゆる意味で5回以上20冊ぐらいの教科書をなくしている。
実は先生もこれは何かがおかしいと気づいていたようだが、当時は何もできなかったらしい。
それどころか、私を標的にした訳ではなく、忘れ物をした人を懲らしめてやろうという目的だったとはいえ、私の教科書を没収したこと、そして、私が母親にまたもやウソをついたこと、「何度も何度も教科書をなくして、申し訳ない。」と謝罪をしてきた私の母に心を痛めていたらしい。

先生から言われたことは、「あの優しいお母さんを大切にしてあげなさい」ということ。

当時の私は、誰も味方がいないと思っていたけど、母親だけはいつも私の味方だったみたいね。

思い返してみれば、何度も何度も教科書をなくしていたのに、母に叱られた記憶がない。


3つ目に、
少年少女だった同級生たちがどう大人になったのか単純に興味があったから(笑)

これ、単純に面白いよね~。
ガキ大将で大いばりだった子がフリーターやニートだったり、当時は気弱なもやしっ子だった子がエリートになっていたりして、単純に年収だけで言うなら、3~10倍ぐらいの差がついて、モテ具合が100倍ぐらい違うとかね(笑)

ちなみに、私が座ったイスを雑巾で拭いた女の子は、いまだ独身で「いい人がいない」「全然出会いがない」と嘆いていたりもして。
噂によると、彼女も上京していて、今はエステティシャンをやっているそうですが、「エステを思う存分受けられる奥様方が羨ましい」そうです。

小学生の頃も、今もルックスはキレイな子で、私の方がずっと羨ましいと思っていたけど……
視点を変えれば、見方も変わる。

とある男子に、「クラスのマドンナ的存在だった○○ちゃんはサビれた女に成り下がったのに、お前はいかにもいいとこの奥様って感じで、勝ち組だな~」と揶揄されたりもしましたよ。
他人と比べることが害悪でしかないと思っている私も、ちょっとだけ調子に乗って気分が上がりました(笑)

↑普段はあまり着ないフォクシーのワンピに、ヴィトンのストール羽織って、キラキラダイヤモンドのアクセサリーを付けていったせいかしらね?(笑)



そんな私が、
今、いじめに悩む君へ贈る言葉。


その経験を糧にして、強く生きて欲しい。

私にとって、いじめられた過去は全くもって良い思い出ではないけど……

その経験を糧にできたからこそ、成し得たこともたくさんある。

いじめの記憶が残る田舎からとにかく抜け出したくて、受験勉強に勤しみ、上京を果たして、夢の東京一人暮らし生活を謳歌することができた。

超難関のテレビ局の採用試験で、
「メディアの使命とは何か?」という質問に対して、喘息やアトピーの経験、いじめのエピソードを具体的に話した上で、

「苦しんでいるのはあなただけではないと伝えること。」

「私がテレビを見て、東京に憧れて、それだけを糧に田舎を抜け出してきて、今があるように、弱き者に希望の光を照らすことだ。」
と答えて、内定を勝ち取ることができました。

↑採用試験は7次選考まであったので、この答え1つで内定が出たわけではないけど、私が話した内容は強く印象に残ったそうです。
テレビ局のように、数百倍とか数千倍とか、とんでもなく倍率の高い試験は、面接者の印象に残らなければ、内定は取れないものだからさ~。
やっぱりね、テレビ局時代の元同僚とか、突き抜けた何かを持ってるもんね~。

フツーの人ならひた隠したいと思うような、いじめに遭って死にたいと思った経験を赤裸裸に語ってしまう辺りが他の人にはない強みになったのは間違いないと思ってます(笑)

私はとことん苦しんだ人間だからこそ、表現できるものがある!なんて、面接で力説してたもんな~(笑)


苦しい思い出というのは、それが苦しければ苦しいほど、それを乗り越え、開き直って、それを自分の糧にできた瞬間に、最強の武器に変わります



本当に無理だと思ったら、いっその事、そこから逃げてしまいなさい。戦う必要はない。

今、ニュースでいじめ自殺と聞くと、とっても悲しい気持ちになります。

当時の私も「死にたい」と思ったことが何度もある。
だけど、今、死なずに生きてて、本当によかったと思っています。

学校生活というのは、とっても短い期間だからさ。
それに学校というのは、本当に狭い狭い世界なのよ。

学校なんてどこに通ったっていいじゃん?って思うわけ。

いじめというのは、ぶっちゃけ誰にでも起こり得ることだと思うんだよね。

私もいじめに遭っていたけど、他の子だって、順番順番にいじめに遭ったりしてたもんな~。

いじめに正論も何もないと思う。

1つ言えることは、
逃げるが勝ちってこと。……ってこともある。

私自身も、田舎での自分を捨てて、新しい自分でやり直しがしたかったから、東京へ出てきたんですよ。
上京した動機は、「運命を変えたい」っていう理由だけだった(笑)


いじめっ子への最大限の復讐は、
忘れること。
未来のあなたがとことん幸せになること。


私も昔は死にたくなるぐらい苦しい思いをしたけど……。

今の私、ぶっちゃけ幸せ過ぎるんだわ

娘ちゃんの寝顔が可愛くて可愛くて、昔の思い出もいじめっ子のことも、すっかり忘れておりました。
というか、我が子を育てるのはなかなか大変なこともあるので、それどころじゃないっていうかね。

いじめっ子に再会したから思い出したけどさ、今や恨みも何もないよね~。

「結婚できなくて、困ってる。私、一生一人かな?仕事も安月給だしブラック企業だし、ずっと続けられるか分からないし……」なんてボヤいていて、「なんなら私が誰か紹介しようか?」なんて声かけそうになるぐらいよ。ま、頼まれてないので、余計なお世話はしないけど(笑)


昔の私は「私をいじめた人たちを見返してやる~!!!」って気持ちで上京して、勉強したり仕事を頑張ったりしてたけど、いざ欲しい未来を手に入れると、「見返してやる!」という気持ちはどっかに消えちゃうもんなのね(笑)


「見返してやる!」という動機は、時として強いパワーになることもある。
それに乗っかって、欲しい未来を手繰り寄せるも1つの手。

でも、別に見返す必要なんてないのね。


本当に幸せだったら、他人がどうか?なんて、全く気にならないし、興味がない。
てか、すっかり忘れちゃう。

ここまで来ることが、本当の復讐だと思うのです。




つらつらと暑苦しく長文を書いてしまいましたが……


私がこんなブログを書く意味は、それこそテレビ局の入社試験で答えたように、

大変おこがましくも、『弱き者の希望の光になりたい』と心から願っているからです。


私の経験談が、今、苦しいと思っている誰かの小さな力になれたら、本当に嬉しいと思うのです。